ゆんばんyoonbang

日本の名誉を回復する為に正しい歴史を伝える

奴婢の解放、戸籍を作ってくれた日本

日本は奴婢を解放し戸籍を作ってくれた


チマノン博士の朝鮮と日本の一部から


日本人は朝鮮人の犯罪者たちを拷問したりせず
法で裁きました。


面長は、その100%を、市長と郡守は、その70%を朝鮮人に任命した。朝鮮総督は、これらのすべての朝鮮人犯罪者にむやみに拷問をしないようにした。


朝鮮の屠殺業、技能工から私有財産をむやみに奪わないようにした。1912年、朝鮮総督府は「朝鮮民司令」を公布した。


(※朝鮮民司令:支配を受けてきた下層民を保護するために作られた法)、日本の民法、商法、民事訴訟法を朝鮮に実施することを公布したものである。


総督はまた、90%に相当する奴隷すべてを解放させ、それらの戸籍を作ってくれた。(※戸籍:朝鮮時代奴婢戸籍は主人の私物を認める戸籍だけだった。これらは人間ではなく、「モノ」だったので、税金を払わなかった)


1922年総督府は「朝鮮戸籍法」(朝鮮総督府令第154号、施行19231.1)を制定し公布した。奴隷はもちろん、この地のすべての女性は、日本総督府の統治と行政に感謝しなければならない。

 


ことわざに「水に落ちた人を救ったら持ち物を
だせ」ということわざがある


朝鮮人たちは「恩知らず」と恩を仇で返す人種という意味である。創氏改名の事実も完全に歪めた(※。創氏改名:和風姓と名を持つようにしたもの。)


今もウィキペディアなど、多くのインターネット空間には、日本が強制的に推進して80%程度が創氏改名をしたと記載されている。


しかし、「1940年3月6日、東亜日報夕刊」には「創氏改名の機会を与えるだけで強制的に実施していてはいけない。一般の誤解を一掃して趣旨を徹底するように南総督定例局長会議で強調」という見出しがあります。
ここで、「南総督」は第7代朝鮮総督を意味する。1939年、朝鮮総督府が公布した「朝鮮民司令改正令(改正令19号)」は、日本式創氏改名を従うように規定した後、1940年2月11日から8月10日までに各自氏を決め提出することを発表した。


しかし、これは、東亜日報の記事が物語るように、希望者のみの機会を開いてくれたものであっただけで、強制によるものではなかった。東亜日報を見ると、むしろ朝鮮総督は、日本が創氏改名を強要するという誤解を買わないように強制的には実施しないように指示した。


残念なことに多くのコメントを見ると、一般的に、韓国を「善」で見て、他の国を「悪」と断定して歴史を解釈して解説する場合が多いようです。
私たちは、絶対的善ではないです。
私たちも同じ悪であり、歴史には一方的な善はありません。歴史が証明します。