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3月6日水原市慰安婦像撤去声明文

3月6日水原市慰安婦像撤去集会声明文

[声明] 偽りと憎しみの象徴、水原市慰安婦傷を撤去せよ!

 


1991年8月14日に「キム・ハクスン」という女性が日本軍慰安婦被害者を自称して以来、慰安婦問題はずっと、日本軍が朝鮮の若い女の子たちを強制的に引きずり、性暴行をして性奴隷生活を強要し、さらに 殺害もしたという正義記憶連帯の主張がまるで定説のようになっている。

 


さらに、2011年12月14日には水曜デモ1,000回を記念して日本大使館向かいの歩道に、いわゆる「平和の少女像」を設置し、今やこの少女像は国内に150個、海外にも30個以上設置された。 そのうちの一つが水原市オリンピック公園内に設置された慰安婦傷だ。 北朝鮮の南侵で全国土が草土化された朝鮮戦争で、命捧げ国を救った戦没犠牲者たちの銅像もこのように建てられなかった。 このような現象は、世界史で北朝鮮金日成金正日銅像からも、その類例を見ることができる本当に奇妙なことではないか。

 

だが、この慰安婦象は彫刻家の誤った歴史認識と対日敵意が投影された歪曲と憎しみの象徴物である。 彫刻家は「空の椅子に刻まれた約束」という自身の作家ノートで「日本政府が戦争で「性奴隷」とした対象は、高齢のおばあさんではなく、かわいらしい年齢の少女たちと若い女性たちだった。 日帝強占期 朝鮮のかわいらしい年齢の少女たちと若い女性たちを欺いたり、強制的に戦場に連れて行って性奴隷とし、さらに殺すまでの惨めな犯罪を迷うことなく犯した残酷な歴史を記憶に残したかった。 これはすべて歴史的事実に合致しません。


作家は日本軍が朝鮮少女を強制的に動員したとしたが、中日戦争と太平洋戦争時、朝鮮女性はいかなる名目でも動員対象ではなかった。 さらに軍人は国家公務員であり、彼らの行為は公務である。 もし女性を動員することがあったら、必ず関連法令がなければならない。 しかし、慰安婦は性的サービスを提供してお金を稼ぐ性売買女性で、国家総動員法による動員対象ではなかった。 万が一女性を招集または命令することがあったとしても、招集令状のような文書を交付して場所と時間を告知することであり、個々を追いかけ回って引っ張って行くことはできない。 軍人が民間女性を銃刀で脅かして引っ張っていったとしたら重大犯罪行為だ。

 

 


次に慰安婦を日本軍性奴隷だと主張するが、これも歪曲と同じだ。 奴隷は「人間として基本的な権利や自由を奪われ、他人がさせるようにする人」を言う。 もし慰安婦が日本軍性奴隷だったなら日本軍は誰でも、またいつでも慰安婦を対象に自分の性欲を満たして暴行を加え、必要ならば売り渡すこともできなければならない。 しかし、日本軍は慰安所規定に定められた階級別時間別料金を支払わなければ慰安所を利用することができなかった。 お金があれば利用し、なければ利用できないうえ、慰安婦をむやみに扱うこともできなかった。 ところで、いかにして慰安婦が日本軍の性奴隷だと言うのか?

 

 


戦争犯罪被害者という主張は、さらに愚かなことだ。 1998年、ゲイ・マクドゥガール国連人権委報告書には、戦争犯罪について「強姦を含む性暴力行為が国際紛争が進行中に敵軍や占領軍によって行われたとき」と定義した。 国際紛争や武力衝突地域で敵対国の女性を拉致、強姦、殺害するなどの行為がまさに戦争犯罪なのだ。 しかし、朝鮮と日本は相互武力衝突国家ではないうえ、当時、朝鮮女性は日本国民だった。 さらに、慰安所は占領地の女性に対するレイプなどの戦争犯罪防止のために運用された合法的な売春空間だった。 ところで、どうしてそこで働いた慰安婦たちが戦争犯罪被害者だというのか?

 

 


最後に、作家は日本軍の誘いに騙されたり、強制的に戦場に連れて行かれた10代前半の若い女性を作品として表現するために、11歳の自分の娘をモデルに13歳~15歳の少女の姿を再現したとした。 しかし、日本軍慰安婦になるためには、出国前に女衒と契約を締結した後、身分証明書の発行を受け、現地に到着してから領事館警察に出頭して親権者承諾書、 印鑑証明、営業許可書、営業人調査書、写真2枚を提出して営業許可をもらわなければ慰安婦生活をすることができない。勿論戸籍謄本は親権者の確認の他にも年齢確認が核心であり騙すことは文書を偽造しないかぎり不可能だった。問題は当時の日本軍慰安婦は17歳以上なら可能であり13~15歳の少女は国内駐屯地ですら日本軍慰安所など営業許可を得られない。

 


安点順が14歳に連行されたと言うが、14歳には朝鮮半島だけでなく日本軍駐屯地でさえ慰安婦、すなわち売春婦の営業許可が得られない年齢だ。 キム・ハクスンが平壌寄生学校を終えた後、国内営業許可を得ようとしたが、当時許可年齢の19歳にならない17歳だったため、許可を得られなかったと証言したことがある。 また、1940年代軍慰安婦募集新聞広告には「18歳以上30歳以内に身体強健な者」という条件があり、1944年米軍捕虜尋問報告書にも韓国人慰安婦の年齢が約25歳内外だった。 いずれも14歳の安点順は日本軍慰安婦にはなれない。

 

 

 

次に安点順が14歳の1942年は太平洋戦争時期で、日本軍慰安所は東南アジア地域を中心に設置運営された。 安点順は内モンゴル地域と推定されるところで日本軍慰安婦生活をしたと言うが、地域が不明なうえ、日本軍慰安所が設置されているのかさえ確認されていないところだ。 何より性病予防のための日本軍慰安婦の必需品であるコンドームを見たこともなかったという安点順の証言は、彼女が日本軍慰安婦ではなかったことを代弁してくれる。 日本軍慰安所設置の重要な目的が兵士たちの性病予防だったため、コンドームの使用は必須だった。 そのためコンドームを見たこともなかったという安点順の証言は日本軍慰安所とは距離が遠い話だ。

 

 


このような安点順の証言は、彼女が日本軍慰安婦被害者どころか、日本軍慰安婦でもなかったことを自ら証明している。 ところが、水原市は、とんでもないことにこのような基礎的な事実さえ知らないまま「安点順記憶の部屋」という追慕空間を設け、水原市民をだまして慰安婦象を設置しまた市民をだましている。 もっと愚かなことは水原市名誉の殿堂に世界的な企業skグループの創業主であるチェジョンヒョンのような人と並んで名前を載せた。 恥ずかしい限りである。

 

 

以上で述べたように、水原市慰安婦傷をはじめとする国内外の数多くの慰安婦象は慰安婦に対する歪曲・捏造された情報を元に製作設置された。 しかも、これらの慰安婦象は表では平和という名前を打ち出しているが、実状は国内外で絶え間ない葛藤と反目を引き起こし、韓日外交を破綻に追い込む偽りと憎しみの象徴物なだけだ。

これに対して韓国慰安婦法廃止国民行動は歴史を歪曲し、真実を曲げて市民を欺瞞する安点順記憶の部屋と水原市慰安婦像の早急撤去を促す。

 


2024. 3. 6.
위안부법폐지국민행동
慰安婦法廃止国民行動