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関東大震災流言蜚語

前回の続きで関東大震災の流言蜚語の真相についてお話したいと思います。まずはふたつのお話をお聞きください。

一つ目震災地の市民は、震災のために極度の不安に襲われつつある矢先に、戦慄せんりつすべき源流肥後に脅かされた。これがために市民は全く度を失い、各自武装的自衛団を諸処にまじなうべき不祥事を続出するに至った。この流言飛語が、 なんら根底を有しないことはもちろんであるが、それが当時、どこにもまことしやかにしかも迅速に伝えられ、一時的にもそれが全市民の確信となったことは、実に驚くべき奇怪事と云わねばならぬ。荒唐無稽な流言蜚語が伝えられたのは、大正12年9月2日からである。

二つ目震災時の民衆を大混乱に陥れたいわゆる鮮人襲来の流言の出所に就いては、

説が区々として一定しない。警視庁幹部の説によれば大正12年10月22日の幼稚新聞夕刊掲載、流言の根源は、1日夜横浜刑務所を開放された囚人たちが、諸所で陵辱強奪りょうじょくごうだつ放火等のあらゆる悪事を働きまわったのを、鮮人の暴動と間違へて、どこからともなく、種々の虚説が生まれ、ほとんど電光的に各方面に伝わり、今回のごとき不祥事をひきおこしたのである。

また関東自警団同盟の調査によれば、流言の最初のでどころは横浜であり、それが高津方面から多摩川を越えて、渋谷鎌田大森等を経て帝都に流れ込んだのである。流言蜚語のでどころについては、今なお疑問であるが、当時この流言に対する官憲及び軍憲の処置が、当を得ざりしことはこれを認めざるを得ない。

この二つの話は民本主義を代表する学者として論壇の中央にあった吉野作造の話であります。吉野は普通選挙論、貴族政治の縮小、軍部改革などリベラルな論陣を張り、当時の知識層を牽引しましていました。そんな吉田が簡単に事実を見逃し流言で落ち着かせたのはどうしてなのか。

朝鮮人は、210日から220日までの間帝都を中心として暴動を行う計画をしていたところ、たまたま大地震が起こったのでこの秩序の混乱に乗じて、かねてからの計画を実行しました。即ち東京、横浜、横須賀鎌倉等において、りゃくだつ、虐殺、放火、強姦、毒物投入などあらゆる悪事をおこなって、六連発銃、しろ刀をもって隊伍堂々と各地を荒らしまわったのです。震災当時の火災があのように大きくなったのも彼らのせいで、隊を組んで震災地を襲い、襲う家に首領が印を付けると手下の者が爆弾、や石油で放火し、又井戸に毒を入れてまわったのです。

戒厳令が布かれて行動が出来なくなると地方へ逃げて行きました。このような暴動は男性に限らず朝鮮人女性も放火をし、子供は毒入りサイダーを日本人にすすめたと

ドキュメント関東大震災に記されています。火つけ道具を持ち歩き、目印を家につけ、材木屋に火を点ける朝鮮人を目撃した証人がいたことは確かです。吉野昭の関東大震災という論文では朝鮮人が犯した小さな犯罪や、彼らの性向をことさら日本人が拡大して恐れおののいた結果があの流言蜚語を生み、虐殺へつながったという筋書きでなりたっています。しかし、そんな瑣末(さまつ)で些細な事象から事件が発生したわけではありません。

吉野作造の論文にはまた次のようなことが書かれています。親交ある一朝鮮人から聞いた話として、横浜に居る朝鮮人労働者の一団が、震火災に追われて逃げ惑うや、東京へ行ったらどうにかなるだろうと、段々やってきた。貧乏な彼らは、途中飢えに迫られて心ならずとも民家に行って食物を掠奪し、自らまた多少暴行も働いた。これが朝鮮人りゃくだつの噂を生み、果てには横浜に火をつけてきたのだろう、などとおひれをつけて先から先へと広まる。かくして彼らの前途には警戒の網が布かれ、彼らはあえなくも興奮した民衆に殺される所となった。飢餓に追われる労働者の過失がまたたくまに諸方にひろがって、かくも多数の犠牲者を出すに至ったのをみて、我々はぼうぜん自失する他はない。大正12年1月中央口論より

朝鮮人労働者が貧乏だからと言って民家に押し入るのを心ならずもだとかばい、りゃくだつ、多少暴行も働いた、のがおびれをつけて事件が拡大したのだと吉野氏は言う。しかしたとえ貧しくても、民家に押し入り暴力をふるうことを日本では強盗という。りゃくだつの噂を生んだのは至極当然ではないでしょうか。当初警察の発した朝鮮人襲来の報は決して間違いではなかったということです。関東大震災時に作られた自警団はそもそも朝鮮人の襲来に備えたものではなかったのです。町内の平穏な日常を守る為に各所で結成されたものです。

火事場泥棒のようなやからは遺憾ながらどこにも存在するので、そうした犯罪から各戸を守り、さらには余震などの心配から二次災害の危険を食い止めねばならなかったからです。先ほど話したように、吉野作造が信頼する朝鮮人でさえ飢えにせまられた朝鮮人がりゃくだつをしたと告白したではないですか。こうした一団が、次から次へと多摩川を越えて東京市内へなだれ込めば、騒ぐなというほうが無理です。自警団の設けた関所ができたため、町中を歩いていた朝鮮人、もしくはそれとおぼしき人物は片っ端から誰何すいかされ、抵抗する者は殴られたり、暴行を受けたり、警察へ連行され、そこで厳しい尋問を受けるなどしました。なかには、激昂げっこうしていた自警団にころされなくてもいい命が失われた例がないとはしません。不幸な朝鮮人が皆無でないことは事実として確認されるべきでしょう。それをもって虐殺などと言う人がいますがそれは先に朝鮮人の暴動があり、暴動から民衆を守る為に行われた行為が一部朝鮮人の殺害ということになったと思います。

罪のないまともな朝鮮人をかばうのは当然です。しかし一部暴徒化した朝鮮人たちが起こした悪事の結果命を奪うことになったことは残念ですがしょうがないことかなと思います。

それを罪のない朝鮮人虐殺などと今でも信じる人がいることが残念でなりません。日本人はそんな罪のない人を殺すような残酷な民族では決してないということを在日はわかっているはずだが反日左翼の陰謀にはまっているのでしょう。以上


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