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日本の名誉を回復する為に正しい歴史を伝える

木尾虎之助 朝鮮王朝から農民に土地を取り戻した日本人 

韓国では一般的に日本統治時代日本が韓国の農民から土地を奪ったと教えていますが果たしてそうだったのでしょうか?日本が朝鮮半島を統治する前はどうだったのか今日は韓国で尊敬されているある日本人のお話をしたいと思います。韓国の元大統領金大中さんが生まれたのがシナ群ハウイ島 だと言われています。ハウイ島と言う島はソウルから遥か南の木浦という所から船に乗って2時間ほどの場所にあります。

1004個の島からなるハウイ島は天使の島とも呼ばれています。韓国語で天使と言う発音は千四と言う発音と同じことから天使の島と言うことです。そんな天使の島がその昔朝鮮時代は地獄の島となっていたことは韓国人も知らないし、知ってても知らないふりをするんでしょうね。ハウイ島には農民記念館というところがありますがここに하의도の人たちが尊敬する日本人の記念碑が建っています。朝鮮時代農民が所有する土地の所有権を奪い王室の人々に授けるさぺ賜牌制度がありました。当時の李王朝時代にハウイの3つの島を農民から奪い王の娘であるチョンミョンヒの物として嫁ぎ先の両班であるホン氏に対して、徴税権が3代にわたり与えられました。しかしホン氏は4代目以降も継続して徴税を続け、一方で政府も徴税を再開したため、島民の不平は高まりました。島民は長期間にわたり訴訟を戦いましたが、法律の知識もなく苦戦しました

そこで農民に代わって、彼らの土地を取り戻す為に力を貸してくれたのが日本人弁護士である木尾虎之助でした。この木尾虎之助の顕彰碑が農民運動記念館に立っているのです。顕彰碑には次のように書いています。《1908年、豊山洪氏による不当な小作料強制徴収に反発して荷衣3島民は不当利得返還請求訴訟を提起したが、1審で敗訴して落胆しているときに、日本人弁護士の木尾虎之助氏が上告審弁論を引き受け、3年間の苦労と努力の末に勝訴して、荷衣3島民は所有権を取り戻した。

このような木尾弁護士の恩恵を称えるために荷衣3島民の寄付を集め、1912年6月に碑を建設することになった。》

木尾は鹿児島県薩摩郡入来村(現在の薩摩川内市)出身。1902年(明治35年)、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、弁護士試験に合格。東洋大学講師、警視庁警察官消防官練習所講師を経て、1907年(明治40年)に東京市に弁護士事務所を開いた。翌年、朝鮮半島に渡り、漢城、現在のソウルに弁護士事務所を開き、1922年(大正11年)には京城内地人弁護士会会長に選出され1916年(大正5年)、衆議院補欠選挙で当選を果たしました。その他に朝鮮鉱業新報社社長を務めたそうです。

よく日本人が朝鮮の土地を収奪したと言いますが日本が統治する前から既に農民の土地は朝鮮王朝や両班の物になっていたようです。日本が統治することになり、王朝や両班の利権にメスを入れた為に日本政府は恨まれるようになり、朝鮮王朝や両班がやっていた酷いことをすべて日本のせいにすることで正当化しようとしています。韓国同胞の皆さん国内で教える歴史はほとんど嘘です。どうか自分の目で真実を確かめてください。あなたたちは騙されています。